生前契約   サイトマップ PDFの使い方 Home
 
  死者の人権
死者の尊厳と人権
  死者にも人権がある
死者の人権宣言
 

  死者の人権(22kb)
前各項の権利の実現を図るには次の条件が成就されなければならない。
第1条件 死者の人権を主張し、その権利を実現するためには生前に書面による意思表示をすること
第2条件 われら市民社会はその連帯により死者の人権を代行し、また権利の行使を監視するシステムを構築するとともに、実現のために行動すること
(文責 松島如戒)

死者の権利憲章制定について

1.はじめに

我が国の民法は人が人としてあり続ける時間を「出生から死亡まで、但し胎児を含む」としている。従って死者は所有権の「客体」であっても「主体」とは成り得ないとの立場である。

われらは10年ほど前から死者にも、その死者固有の権利があり、それは社会的に認知されるべきだと主張し続けてきた。さらに生前契約の中で『Aさんの弔問は受けたくない』、『死に顔は誰にも見られたくない』といった「死者の主張」を確実に受け止め実行している。近時英国の葬送市民運動の動向を知る機会に恵まれ、彼の国では既に「死者の人権宣言」が実現していることを知った。そこでわれらは勇気を持って「死者の権利憲章制定」の発議を行うことにした。

別紙はその素案である。この素案をたたき台に「人権は護らなければならないもの」と考える多数の市民参加のもとで、我が国にも死後の人権を認知するという、21世紀型市民文化が定着することを願っている。

2.趣旨

20世紀、とりわけ我が国では先の大戦後の半世紀、人権論議が活発となっている。 その論議の起点は人権を抑圧されている人々の声に対し、市民社会の中での人権派といわれる人々や団体が後押しすることで、着実に実現するといった経過を辿るケースが多い。 ところが「死者の人権」の当事者は「主張すべき術」を持たない「死者」そのものという極めて特殊なケースである。と同時に死者は来世紀末までには、我が国だけでも1億数千万人を数えるということも事実である。人とは弱きもの、愚かなもので、いずれ自らが『死』という終着点に到達するという厳然たる事実に眼を覆い、「死者の人権」を蔑ろにしている。

われらはこの愚かさから目覚めなければならないことに気づいた。「死者の人権」とは究極の人権である。死者の人権にまで思いを致すことは、とりもなおさず、この地球上「生きとし生ける全てのもの」の人権、即ちその存在を認め尊重することと連鎖するはずである。生を授かった瞬間に約束された、怖い、つらい、せつない、嫌い、避けたい、苦しい...そんな死を、豊かに受け入れることが幸福の原点だとわれらは考えている。

だからそんな死が輝いて見えるように「死者の人権」を護ることを提唱しているのである。

3.内容と解説
1.基本的権利の確立

かつてアメリカで、奴隷には人権がなく、売買の対象即ち、所有権の「客体」でしかなかった。死者の権利主張も現段階では、南北戦争以前の黒人問題のレベルと考えれば解りやすい。無から有を生み出すといって良いほど革命的な論理である。  従って権利の存在を高々に謳いあげたうえで個々の内容について規定していく。

2.死後の絶対平等

憲法14条の規定をここに引用し、前項の権利すなわち平等無差別主義の原則を謳ったものである。
生前において達するに至らなかった人種・性別・思想・信条・社会的身分などによる有形無形の差別を廃し、死後に『絶対平等』の世界を創り上げようとの考え方である。

3.死後のプライバシーの擁護

生前の個人情報の、死後における所有権は死者本人に存し、何人もこれを侵してはならない。具体的には、

  • 肖像権
    死後に「お別れ」と称して遺骸を衆目に晒すことを拒否する権利は護られなければならない。 通常「生者側」の論理で晒し者にされることが多い。 これに関し、生前における意思能力喪失状態にある病人の面会拒絶なども、 健常時の本人意思に遵うことが必要である。
  • 人格権
    死後の人格を全く無視した行政施策として、脳死による臓器提供に対し、 本人意思の如何に関わらず、「家族同意」を以て可能とした厚生省見解などは最たるものである。 家族同意を廃しても「本人の確実なる意思表示」を最終的な拠りどころとすべきである。
    死因究明なども犯罪性の確率の高いケースを除いて、本人意思が尊重されるべきである。
    人格権は肉体的な側面よりむしろ精神的な面で名誉を傷つけられた、 あらぬ疑いをかけられた...等々、死者も生者と同様人格に付き否定的な被害を受けた場合、 対抗的手段を担保することが必要である。近親者といえども例外ではない。
  • 遺体の処分権
    葬法との関連性が大きいが、死後自らの遺体処分に対し、自らが責任を負うとの原則を確立すべきである。 そのうえで火葬でなく、土葬を選択する、あるいは火葬後の焼骨の処理についても還骨 (通常散骨といっている)や、墓地への埋蔵方法や埋蔵形態等々、生前意思が最優先されなければならない。

4.社会参加の保障

我が国の法体系の中では死者の意思能力や権利能力等全て、否定されているため、現行法上、 死者の社会参加の道は閉ざされている。

しかし、今後、子や孫など血縁による子孫を持たぬライフスタイルが、市民権を得て一般化するに伴い、 従来、血縁子孫が担ってきた死後の社会参加(冠婚葬祭等における交際など)の道も閉ざされる点に鑑み、 これらについて、自己の生前意思をどこかに託するといった手段で、死者の社会参加を保障することが必要である。

5.葬法選択の自由

年間100万人近い人が死亡しているが、それら死者の葬法で本人意思が忖度されることは極めて稀である。 大部分は近親親族の意思や帰属集団の規範、慣習等に基づいて執り行われる。遺言による葬法の指定に法的有効性が 保障されないとは法律家の見解である。

これは民法による遺言の規定に祭祀、即ち葬法については、その範疇に入れていないことを根拠とすると同時に、 民法897条の規定でも葬法の選択は慣習および、祭祀主宰者の裁量権の範囲と解されている点を論拠としていると思われる。 従って本権利憲章によって明確に宣明することが必要である。

葬法とは遺体処理に係わる部分と葬送儀式儀礼に係わる部分とに大別することができる。 遺体処理については第4項にて述べてあるのでここでは儀式儀礼の側面から述べるにとどめる。

まず、宗教儀礼の要否の選択の自由を保障すべきである。 神仏を信じない人に対して、遺された者達が「死者のため」と称して、生者の宗教観に基づく宗教儀礼を強要するケースが多い。 さらに宗旨、宗派を異にした形での宗教儀礼も多い。

一方、儀式儀礼を含む一連の葬送事務は生者の都合と論理によって、執り行われるケースが一般的であって、 死者の側の意思の存在すら認知しようとしないのが現状である。

葬法の選択は自らの生前意思に従わなければならない。

6.書面による意思表示

死者の人権を享受するには、生前に適切な方法(書面)による意思表示を明確にしなければならない。 民法による遺言が(公正証書遺言によるもの以外)、家庭裁判所の検認後開封されるという法制度のもとでは、 一般的な遺言と別に、書面により葬法に関する意思表示をしておかねばならない。

7.生前意思の受諾システムと監視機能

本憲章が制定され、「死後の人権」が確立されても、死者に代わってこれを担保する仕組みを市民の手によって構築しない限り 画餅となる。

本憲章の制定に歩を合わせて、生前意思の忠実なる受託システムに加えて、既に死して権利能力を有しない死者(当事者) を代理して委託せし内容が確実に履行されたか否かの監視機関の設立が必要である。

8.憲章制定の認証手続きをいかにするか

国会での採択、しかるべきオフィシャルな機関を設立し、その組織の名によって認証するなど様々な手段方法が考えられるが、 その一つとして直接民主主義の手法即ち、市民レベルでの一定割合の支持のもとに制定を宣明することを提案したい。

世に○○憲章や△△宣言など多数あるが、これらが直接的に今の時代を生きる多数の市民の理解を得て、 現実の「くらし」の中でどの様に生かされているか...と考えたとき、その貧しさに驚嘆させられることが多い。

100万人という数字に確たる根拠はないが、年間の死者が約100万人、という数字(我が国の成人人口の約1%)などに配慮し、と りあえずの目安としている。今後、ゥ外国のプロセスや手法等の情報を得て、適正な手法を提案していくことが必要である。 周知の方法はインターネット上に日・英語のホームページを作成し、全世界へ向けて発信する。他方マスコミの協力、 支持者によるボランティアなど運動の大きな渦を作り出すことが、スタートラインであると考えている。

この種のことに期限はないが、2001年1月1日即ち21世紀の初頭に認証されることを願っている。

 ページの最初に戻ります